チェーザレ・ボルジアの母親の墓碑銘@サン・マルコ大聖堂、ローマ♪

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今日は、夕方5時過ぎにヴェネツィア広場まで行ってきました。
日中暑いので、夕方お出かけしたわけですが、やっぱり異常な暑さ・・・
ふう~~っ!




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ヴェネツィア広場まで来たのは、ヴェネツィア宮殿のそばにあるサン・マルコ大聖堂に行くためです。
ヴェネツィアの守護聖人、福音書家聖マルコに捧げた教会です。
もともと、この地には紀元336年にローマ教皇マルティクス(マルコ)によって建立された教会がありましたが、それを紀元833年に教皇グレゴリウス4世が、立て直しました。
ちなみに、ロマネスク様式の鐘楼は12世紀のものです。
そして、15世紀、ヴェネツィア出身のローマ教皇パウルス2世の時代には、ファサード(正面)の祝福のロッジャ(回廊:2階部分)がルネッサンス様式で加えられ、その際、この教会を在ローマのヴェネツィア共和国国民のための国民教会としました。
現在の姿は、その後のバロック時代に修復されたものです。





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アトリオ、教会の玄関にあたります~
左手の扉が教会の内部へ続く扉です。






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アトリオの右端~
そして、私がわざわざこの教会に来た理由はここにあります~
壁の右下にある大きな墓碑銘です♪
これを観に来たのです。





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これは、ボルジア家出身のローマ教皇アレクサンデル6世の愛人で、フアン、チェーザレ、ルクレツィア、ホフレ・ボルジアの母親であったヴァノッツァ・カタネイの墓碑銘なのです。
この教会に葬られているわけではありません。
以前、ブログの記事でも書きましたが、彼女のお墓は、ポポロ広場のサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の中にあったのでした。
それは本物の黄金で作られた豪華絢爛なものでした。
しかし、いつの時点か不明ですが、なくなってしまったのです。
おそらく1527年の「ローマの略奪」の際に黄金を盗まれ破壊されたのでしょう。
遺骨はどこに行ってしまったのかも分かっていません。
墓碑銘だけが、こちらの教会に移されました。
それも、いつのことだかははっきりしていません。
墓碑銘には、次のように書かれています。

D(EO) O(PTIMO) M(AXIMO)
VANNOTIAE CATHANEAE CAESARE VALENTIAE IOANNE GANDIA(E) IAFREDO SCYLLATII ET LUCRETIA FERRARIAE DUCIBUS FILIIS NOBILI PROBITATE INSIGNI RELLIGIONE EXIMIA PARI ET AETATE ET PRUDENTIA OPTIME DE XENODOCHI(O) LATERANEN(SI) MERITAE HYERONIMUS PICUS FIDEICOM(M)ISS(I) PROCUR(ATOR)
EX T(ESTAMEN)TO POS(UIT)
VIX(IT) ANN(OS) LXXVI MEN((SES) IIII DIES XIII OBIIT ANNO M D XVIII XXVI NO(VEMBRIS)

今日は時間がないので、日本語への翻訳は、また後日、このページに追記で記しますので、興味のある方は、来週またこのページを覗いて下さいね。

いずれにしても、この墓碑銘が、ヴァノッツァ・カッタネイとローマ教皇との愛人関係を公的に示す証拠となるわけです。
はっきりと、ファン、チェーザレ、ルクレツィア、コフレ・ボルジアの母親と刻まれてあるわけですから。

「追記です」
ヴァノッツァ・カッタネイの墓碑銘の日本語訳をおおまかに記します。
ラテン語の単語は、イタリア語に近いものもあるので、雰囲気的に意味はつかめるのですが、形容詞や動詞についてはその変化が凄まじく、また文法が難解なこともあって、外国人のわたくしが正確な翻訳というのはおこがましい限りです。
ゆえに、わたくしも雰囲気的には意味が分かるのですが、それをきっちりと正確に訳すことには抵抗があります。
イタリアの学校では5年間の高等学校でラテン語が必須になります。
理系でも文系でも同じです。
学校で習っていても理解するのは難しい言語なのです。
夫も息子も理系の高校でしたが、必須科目のラテン語は難しかったと言っています。
夫にもこの墓碑銘の言葉を見せて解釈を聞きましたが、この文章は文法的にかなり間違っていて、正確なラテン語とは言えず、意味の分からないことが多いとのことです。
ですので、あくまでも私の解釈で大まかな意味だけを記します。
いかなる形でもパクらないでくださいね。←これが一番心配です。

慈悲深い神の名において
ヴァノッツァ・カッタネイに献じる
ヴァレンティーノ公チェーザレ、ガンディア公フアン、スクイッラーチェ公ホフレ、フェッラーラ公妃ルクレツィアの4人の子どもたちを、その高貴な誠実さで育て、
宗教においても同様に、その徳の高さでラテラノ病院に偉大な功績を残す
財務管理官ジェロニモ・ピオが遺言状を執行する
76年と4か月と13日の生涯を生き、1518年11月26日に死す

補足
ヴァノッツァが亡くなる時、すでに三人の息子は全員亡くなっていました。
実業家としても成功していた彼女の財産は途方もないもので、その財産をすべて教会に残したそうです。
ラテラーノ病院は、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂とサント・ステファノ・ロトンド教会の間に中世の頃からあった教会経営の古い病院です。
おそらく、財産の一部がそちらの病院に寄付されたのではないでしょうか?





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教会の内部♪





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9世紀のビザンチン様式のモザイク♪




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新古典主義の巨匠カノーヴァ作のレオナルド・ペーサロのお墓♪






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メロッツォ・ダ・フォルリ作の教皇マルティクス(マルコ)の肖像♪

時間がないので、ざっくりと写真だけのご紹介になりました。
ヴェネツィア広場には行っても、なかなかこの教会に入ることはないかもしれませんが、お近くを通ったら、是非、中に入ってみてくださいね。
特に、チェーザレ・ボルジアのファンの方は必見かもしれません。

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by mayumi-roma | 2017-07-15 06:36 | ローマの美術・歴史散歩

上野真弓、ローマ在住の翻訳家&文筆家&ツーリズム別府大使。日々の暮らしや芸術探訪、旅の記録。最新刊は訳書『ミケランジェロの焔』、著書に『教養としてのローマ史入門』、訳書『ラファエッロの秘密』など。お仕事のご依頼はoffice.uenomayumi@gmail.comへ。


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