アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ・・

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アウシュビッツ第二収容所ビルケナウ。
収容所内に引き込まれた線路が悲し過ぎます・・









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ヨーロッパ全土から多くのユダヤ人が、この貨車に乗って、ここに運ばれてきました。
この貨車は、実際に使われていたものです。









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この収容所はユダヤ人虐殺のために作られたようなものだったため、ドイツ軍がここから撤退する際、多くの建物、ガス室、遺体焼却炉などが、証拠隠滅のために爆破されました。
そのため、有刺鉄線に囲まれた広大な敷地は、見渡す限り草原のように見えますが、ところどころ、オリジナルの建物が残っています。









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爆破されたガス室や遺体焼却炉が、当時のまま、残っています。
残っているというよりは、わざわざこの状態で残していると言ったほうが正しいでしょう・・
ガス室は線路のそばにありましたが、それは、ここに到着した人たちの80%がすぐにガス室に送られたからです。
到着後すぐに、SSによって選別が行われたのです。
SSが選別している写真も残っています。









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しかし、重労働に耐えうると判断された人たちの運命も過酷なものでした。
このあたりは湿地帯で、収容所は元家畜小屋だったのです。









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すきま風が入り、地面は泥だらけ、大量のネズミがいて、人間に噛み付いていたそうです。
囚人服は着たきりすずめ、身体は洗えず、囚人服も洗えず、不衛生極まりない状況だったため、伝染病が蔓延したそうです。









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そして、一日の食事はこれだけ。
朝は、コーヒーと呼ばれる不気味な黒い飲み物だけ。
昼は、野菜スープと呼ばれる、ほとんど腐った野菜を使ったまずいもの。
夜は、パンがひと切れに小さなマーガリン。
ほとんど飢えの状態にしておき、栄養失調にさせ、休憩なしの過酷な労働を一日10時間以上もさせていたのです。
やせ衰え、労働中に亡くなった方の数も膨大だそうです。









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トイレです。
可哀相に鞭打たれながら用を足していたそうです。
与えられた時間は、わずか5秒。
集団でトイレに行く時間が決められていて、一日に二回だけ。
朝食(朝食と呼べるものではありませんが)後と夕食後(こちらも夕食と呼べるものではありませんが)だけだったそうです。
このほかにはトイレに行くことは許されなかったので、垂れ流しにするしかなく、しかも汚れた囚人服は洗うことも着替えることも出来なかったため、これも不衛生な環境の要因になったわけです。
つまり、人間として扱われていなかったのです。









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この地で亡くなったユダヤ人だけでなく、すべての戦争犠牲者の冥福を祈ることしか出来ません。
そして、このような不幸な過去を持つ民の国・イスラエルが、もう少しパレスチナ人の気持ちを考えてくれたら・・と、思います。
不幸の連鎖は終わらないのでしょうか!?




by mayumi-roma | 2013-08-11 05:44 | 愛すべきポーランド

上野真弓、ローマ在住の翻訳家&文筆家&ツーリズム別府大使。日々の暮らしや芸術探訪、旅の記録。最新刊は訳書『ミケランジェロの焔』、著書に『教養としてのローマ史入門』、訳書『ラファエッロの秘密』など。お仕事のご依頼はoffice.uenomayumi@gmail.comへ。


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