百聞は一見に如かず(被災地支援レポートより)

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W子ちゃん@宮城県亘理郡山元町

先週、お友だちのW子ちゃんが、所属しているボランティアセンターから派遣されて被災地支援に行ってきました。
レポートを送って下さいましたので、被災地の現状を少しでも多くの方に知って頂くために、許可を得て、ここに転載することにしました。


「東北は、中身の濃い3日間でした。
震災後の現地へ入ったのも初めて、肉体派ボランティアも初めて、
寝袋で雑魚寝も初めて。
初めてづくしでしたが、とても有意義なものとなりました。

今回行った宮城県亘理郡山元町は、福島県との県境で原発から
50km程の場所でした。
長い海岸線から内陸まで5km行った所にようやく高台があり、
そこまでは一面平坦な広大な土地です。
ここは、そのような地形のため、次に津波が来た時に逃げ場が無い
という事で、立ち入り禁止区域になっていて
最近ようやく禁止解除された地区です。

震災前までは、その辺りは、平坦な土地と均等に降り注ぐ太陽熱の
おかげで、ビニルハウスでのイチゴ栽培が主要産業。
見渡す限りのイチゴハウスと畑ののどかな景色。。。。だったのでしょう。

私のガテン姿の写真は2日目、海岸線から300mの作業現場ですが、
ここに立った時、そこはまるで外国の季節外れの海辺の高級別荘地のようでした。
(私は米国東海岸のケープコッドを連想したのですが)←注釈:W子ちゃんはアメリカで暮らしていたことがあります
ぐるり見渡す限りの砂浜に、人の気配は無く、ぽつんぽつんと家が建っている。
一瞬、素敵な風景に錯覚しました。

でも、そこは、7ヶ月前には緑にあふれ、イチゴハウス農家の人々が忙しく働いていた所。
近づいて視れば、私が見渡す限りの砂浜と思ったのは、津波が残した海の土。
1m以上一面に覆っていたのです。
(ガテン写真で、私が右足を置いている位置が、本来の地面の高さです)

私たちが入る前に行政が道路の回復をしたのでしょう、道はついていました。
ただ、すぐそばにあった常磐線は線路の枕木が流され、線路は土をかぶったままで車両がぽつんと荒野に置き去りになっていました。

写真で私のしている作業は、水路が在ったであろう所を、当たりをつけて掘り起こし、出た土を土嚢にし、水路を回復させているところです。
表情は明るいですが、かなりの重労働。
20人の仲間でこれだけ掘り起こしこれだけ土嚢を作りました。
タイに土嚢を送ってあげたいくらいですよ(苦笑)

この海岸付近の地域は、今後、人が住んでいいのかどうかまだ未定なので、新築はダメ。リフォームはよいそうですが、置き去りになっている家はあるけれど、今のところ、とても住めるような環境ではないなと思います。
この地域のライフラインはどうなっているかというと、東北はもともと仙台を除いては、ガスはプロパンなので、ガス管の破損等は関係無く、ガスはOKです。
水道は一部を除いて今は通っています。(現場は仮設トイレでしたが)
しかし、電気はまだダメです。

前後しますが、1日目の現場は、海岸線から3kmくらい内陸に入った所の集落の一般家庭の片付け。
田舎はどこもそうですが、どの集落も高齢者の割合が多いです。
だからよけいに人手が必要なのです。
私たちが手伝った家は比較的若い夫婦(たぶん70歳前)ですが、一階の天井まで津波の跡がありました。
一階部分の床は、既に全部剥いでありましたので、泥だらけの窓を掃除し、ダメになった桟を外しました。

津波というのは、水だけが押し寄せるのではなく、上記したように大量の土砂や瓦礫を運んで来るので、その家も、家の中にも裏庭にも土砂が積もっていました。
普通、海岸から3kmも離れていて、誰が津波がここまで到達するなんて思いますか?
現地に行く迄は、「どうして逃げなかったのか、津波を甘く見ていたのではないか・・」と思う気持ちもありましたが、その3kmの現場に立ったら、そこから海なんてもちろん見えないし、ここで地震が起きても、津波でやられるなんて想像も出来ないことが実感できました。

家の主に、「津波警報は出なかったのですか?」と聞いたところ、最初の激しい揺れで、送電線がやられ停電し防災無線は機能しないので、誰も津波の事なんか知らなかったということでした。
それどころか、村の警察や消防署にさえも津波の情報が入っていなかったらしく、地震後、津波までは40分程の時間があったのですが、その間、パトカーや消防車は、村の地震の被害を見て回っていたということです。

幸いここの主は、なんだか胸騒ぎがして、ふと遠くを見ると、遠くに車が浮いていて、そこで慌てて二階に駆け上がり、その40秒後に津波が襲ったとのことでした。
まさに間一髪で、とても避難するどころじゃなかったそうです。
高台までは、そこからさらに2km。
どう考えても無理だったろうな、と理解しました。

津波は、押し寄せる力よりも引く力がすごく、人も物もそれに引っ張られて行ってしまう。
この家の向かいのおばあさんは、海に持って行かれてしまったし、斜め向かいのおじいさんは、木にしがみついていたけれど、力尽きて海にのまれてしまったそうです。
隣のご夫婦は、やはり庭木に必死でしがみついて、ここの主が二階から、「頑張れ、あきらめるな、こらえろ!」と声をかけ続け、あの3月の冷たい海水の中で数時間頑張りぬいたそうです。

直(じか)にこんな話を聞いて、しかも淡々と語っていて、どれほどの想像を絶することだったのかと、その場に立ってみて初めて実感しました。
意外だったのは、私が出会った人々は、予想外に明るかったし、一見、ごく普通の日常がそこにあったことです。
でも、それこそが、震災から7ヶ月経ち、深い悲しみを経験し、泣くだけ泣いて、それでも前に進んで行く、人間の強さなのだなあと、生きる者の力強さに感慨ひとしおでした。

また、村の人々が、私たちを素朴に喜んで受け入れてくれていたのにも、私はほっとしました。
作業していると、近所のおばあさんが豆を持って来てくれたり、差し入れをしてくれたり。知らない人に声をかけてもらったり。
今回の宿泊先も、町の会社の社長さんが、社屋の二階の広間を震災以来、無償でボランティアに提供してくれています。

現地のボランティアのシステムを少し説明すると、山元町の村役場に災害ボランティアセンターが設置されていて、ボランティアは朝8時にそこに行って、ボランティア登録をし、その時点で、その日の仕事が振り分けられます。
仕事内容は様々で、グループの人数に応じてマッチングされます。
震災当初は、瓦礫撤去や泥出しなど、土木系の仕事が多いため、ある程度の人数のいるグループ単位の仕事が多かったようですが、現在は、一般家庭からの仕事依頼が増えているため、もう少し小グループ(2~3人、5~6人)のニーズが多いようです。

私が今回参加したグループのボランティアセンターは、各方面のボランティアを長年やっているので、ボランティア団体として、かなり成熟している印象を持ちました。
ボランティアに参加する場合、その所属団体によってかなり差があるので、自分にあった団体を見つける事が重要だと思います。
また、ボランティアは個人参加、自由参加なので、その時参加した構成メンバーによっても違いが出て来ると思います。
私は今回、大変恵まれていて、良い仲間でした。
自己紹介も名前だけでプライバシーに干渉する事無く、各自のバックグラウンドは知りませんし、特にこうしなければ・・という縛りや強制もなく、一見、だらだらと勝手にやっているように見えて、実は、各自が大人で、大人としての常識の中で行動していて、ある意味、非常に洗練されているチームでした。
こんなチームだったら継続して行きたいなと思っています。

私は、震災後、寄付や現地に運ぶ炊き出しのお手伝いはしましたが、現地の事は気になりつつも、「行政は何をしてるの?」とか、「業者に委託したら?」とか、「ボランティアは逆に迷惑かけてるんじゃないの?」とか、色々な思いが頭をよぎっていました。

東北への思いはそこにあったけれど、何だか複雑で、行きたいような行きたくないような、怖いような怖くないような、でも何か手伝わなくっちゃと思ったり、色々な思いで揺れてました。
そして、運命が私をそこへ連れて行ってくれました。

参加してみて、「行政はしっかり今後の道筋を付けなければならない」という事を、行く前よりも確信したし、「現地の経済が回って行かなければダメだな」というのも確信しましたが、それを鑑みても、とにかく村は圧倒的に手が足りないのです。
物資はいらないから、出来れば若い力のある人手が必要。
ボランティアの人たちがぞろぞろ村を歩いているだけでも、活気を感じましたよ。

私のモットーである「百聞は一見に如かず」を実感しました。
東京に居ては、分からなかった事ばかりでした。
そして、四の五の言うより行動が大事だということも実感しました。」



W子ちゃん、レポート、ありがとう!
そして、お疲れさまでした。
きっとまたこれから何度も行くのでしょうけど。

レポートを読んで、私も現地に行きたいな~という思いを強くしました。
当たり前のことですが、TVや新聞で取り上げられる大きな場所だけでなく、本当に無数の名もしれない小さな町や村が今も大変な状況にあるのだという事実!
復興までの道のりは並大抵のものではないんだということを改めて思い知った感じです。

なのに、W子ちゃんは、
「私は、体力が並外れてあるので、ガテン系で大丈夫でしたが、mayumiさんに力仕事はおすすめしない。無理は禁物。何かやんなきゃって焦る必要も全く無し。思いを持っていれば、きっと何かに出会うはずです。それは、信用のおける団体に寄付して、自分の思いを託すのでも充分助けになると思います。」
と、言うのです。

私より年上で、ずっとマダムな方なのに~

この冬の一時帰国は、タイトな予定ですが、
もし、運命が導くなら、私も、力仕事も厭わずに行きたいと思っています。



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by mayumi-roma | 2011-11-03 06:32 | ひとりごと、考えること

上野真弓、ローマ在住の翻訳家&文筆家&ツーリズム別府大使。日々の暮らしや芸術探訪、旅の記録。最新刊は訳書『ミケランジェロの焔』、著書に『教養としてのローマ史入門』、訳書『ラファエッロの秘密』など。お仕事のご依頼はoffice.uenomayumi@gmail.comへ。


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