家族の肖像・・

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私の義理の両親です。
1938年、結婚式のあと、ハネムーンへ出るところだそうです。
馬車の時代~~

昔の人は、年齢からすると大人っぽいというか老けてるというか・・
ピチピチの若者ではありません。
それに、彼らは、1938年という時代を考えるとかなり晩婚だったと思われます。
お義父上34歳、お義母上25歳だったそうです。

しかもなかなか子宝に恵まれなかったので、義理の姉や夫が生まれたのもかなり年を取ってからで、そのため、二人は、私から見ると、完全にお祖母ちゃまの世代という感じでした。
私が結婚した頃、お義父上は既に他界してましたし。

義理の両親は、二人とも一人っ子だっため、私たちは親戚が少ないのです。
義理の姉は結婚してないし。
付き合いのある親戚は、亡くなった義理の母のいとこたちの家系ですが、それがまたこの時代には珍しく独身を通した方が多くて・・
私には、親戚づきあいのしがらみというものが全くないのです。
あ、義理の姉だけ。

義理の母はウンブリアの裕福な家庭に育ち、なんでも、曾おじいさんがハンガリーから馬車用の馬を輸入する仕事で巨万の富を築き、それを(今の言葉で言うと)不動産投資して、一族が働かなくてもいい状況を作ったとか・・
(あ、今は何にも残っていませんよ~)

一方、義理の父はジェノヴァ出身で、かなりの苦労人だったそうですが、非常に頭が良かったのでカラビニエリ(軍警察、憲兵)になったそうです。
義理の母と知り合ったのも、ウンブリアの小さな町に署長として赴任したからで、その後、転勤が続き、戦前から戦中にかけては、北イタリアのアオスタ州にあるアルプスのふもとのコーニェという町で署長をしていたそうです。ここには当時のイタリア王家サヴォイア家の別荘があったため、その護衛も兼務していたそうです。

私は一度も会ったことのないお義父上ですが、ヴァイオリンを弾くのが趣味という教養高い人だったそうです。ま、幾分、美化しているのでしょうね~


さてさて、サッカーW杯、イタリアVSニュージーランド、最悪でしたね~
我が家の男性陣、最初から最後まで大声をあげて選手を罵り続けていました。
ニュージーランドと引き分けだなんて~
大丈夫なのかしら~!?
まさか敗退なんてことにならないでしょうね~~

ギリギリで生きていくのがお得意のイタリア♪
きっと今回も大丈夫でしょう!





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by mayumi-roma | 2010-06-21 03:57 | 息子・私・家族のこと

上野真弓、ローマ在住の翻訳家&文筆家&ツーリズム別府大使。日々の暮らしや芸術探訪、旅の記録。最新刊は訳書『ミケランジェロの焔』、著書に『教養としてのローマ史入門』、訳書『ラファエッロの秘密』など。お仕事のご依頼はoffice.uenomayumi@gmail.comへ。


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