サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のすべての見所完全版♪
2017年 09月 19日
双子の教会のかたわれがずっと修復中なので絵にならない。
しかも、広場ではイベントが行なわれているため、ますます絵にならない本日のポポロ広場!
まったく~~
でも、ポケモンはたくさん捕まえました!(笑)
モンスターボールを買うために課金しまくっていますが、これは本当に無駄遣いです・・(大汗)
手前の係のおじさんが、おいでおいでと呼んでくれたけど~
実は、陸上競技は得意な私ですが、さすがにマラソンは・・・
ブログに登場する率が非常に高いのですが、これでも、かなり抑えています(笑)。
何しろ、ウチから近い教会なので、ここを通るたびに寄ってしまう教会なのです~
今日は本屋さんに行く途中で♪
かつてのヨーロッパ各国からのローマへの入り口、ポポロ門も大好き~
同じ門だけど、反対側はフラミニオ門と呼ばれます。
地下鉄A線のフラミニオ駅のある側、私のおウチのある方向です。
ポポロ門(フラミニオ門)についての過去記事は、こちら~(←ここをクリック)
ちなみに、宗教改革を行なったマルチン・ルターは、若い頃のローマ滞在中にこの教会の裏にあった修道院に滞在していました。
ただし、その修道院は、19世紀にポポロ広場とピンチョの丘を整えた際に取り壊されています。
この教会は、もともととても古いものです。
ここにはかつて、皇帝ネロが埋葬されたドミティアヌス家の霊廟がありましたが、ネロの骨からクルミの木が生えて悪霊が宿っているという噂がありました。
確か、この話は、以前ブログに書いたと思います。
この物語を浮彫彫刻にして、祭壇の入り口を飾っています。
「サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂と暴君ネロ」←ここをクリック(重複することも書いていますけどね)
というわけで、夢の中で聖母マリアのお告げを聞いてクルミの木を倒した当時の教皇パスクアーレ2世が、聖母に捧げる教会を建てたのが1099年でした。
教会の建立にかかる費用をローマ市民が寄付したために、市民=ポポロ、聖母マリア=サンタ・マリアで、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会と呼ばれることになったのでした。
古い教会が修復を重ねるのは常ですが、1227年にグレゴリウス9世によってより大きく拡張されます。
その際、当時のラテラーノ宮殿にあったサンティッシモ・サルヴァトーレ礼拝堂から、上の写真、主祭壇に飾られた「市民の聖母」の絵でした。
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会は、さらに、シクストゥス4世の治世下で修復拡張工事されてルネッサンス風になり、その後17世紀にベルニーニが再び改修工事をし、現在見られるバロック風の装飾が施されたのです。
デッラ・ローヴェレ家は、シクトゥス4世やユリウス2世を輩出した家です。
祭壇には、ピントゥリッキオが描いた「キリストの生誕と聖ヒエロニムス」があります。
上部の半月形(ルネッタと呼びます)には、同じくピントゥリッキオによる聖ヒエロニムスの生涯が描かれています。
聖ヒエロニムスは、聖書をラテン語に訳した四大ラテン教父の一人です。
ルネッサンスの繊細で美しいスタイルで描くピントゥリッキオ、好きなんです~
ヴァティカン宮殿のボルジアの間は圧巻ですよね~♪
ピントゥリッキオの弟子たちが描いた「玉座の聖母と幼子イエス」♪
というより、最も愛する礼拝堂と言うべきでしょうか!
礼拝堂自体が大傑作♪
ラファエッロの天才的な設計だと思います。
この礼拝堂は、ラファエッロのパトロンの一人だった16世紀の大銀行家アゴスティーノ・キージが、自らと一族の墓を置く礼拝堂の設計をラファエッロに依頼して作らせたのです。
向かって右のピラミッドが、アゴスティーノ・キージのお墓♪
その後、17世紀に、キージ家出身の教皇アレクサンデル7世が枢機卿だった頃、この礼拝堂をベルニーニに修復させました。
それは、ますますこの礼拝堂を美しくしたのではないかと思います。
ピラミッドも、永遠のシンボルとして、もともとラファエッロがデザインしたものでしたが、それをベルニーニが少し変えたのでした。
美しいわ~
セバスティアーノ・デル・ピオンボの「聖母マリアの誕生」です。
ヴェネツィア出身でベッリーニ、続けてジョルジョーネに師事しましたが、主な活動はローマに来てからです。
この絵はマニエリスム的で面白いと思います。
ハバククの髪をつまみあげる天使が可愛い♪
この彫刻も大好きで~す♪
この彫刻と対になるのは、祭壇の左手の彫刻ではなく、対角線の向こうにあるもう一つの彫刻です♪
ちなみに左手の彫刻は、ラファエッロのデザインに沿ってロレンツェットが彫ったルネッサンス期のものです。
主題は、「クジラから出て来たヨナ」。
これと対になるのが対角線の向こう側の「エリヤ」です。
同じくラファエッロのデザインです。
ここでは写真を省略しています。
神に感謝の祈りを捧げています。
旧約聖書の物語です。
紀元前7世紀、国を失ったユダヤ人はバビロンに捕囚されます。
その中に預言者ダニエルがいましたが、その力を見込まれてバビロンの王に仕えました。
ところが、それを妬んだ家臣の陰謀で、ダニエルはライオンの暮らす洞窟に放り込まれてしまいます。
そこで、神は天使を遣わし、食べ物を持っていた預言者ハバククの髪をつまんで持ちあげて、空を飛んでダニエルのいる洞窟へ連れて行きます。
そうして、神に守られ、ライオンに襲われることもなく、餓死することなく救われたダニエルは、ひざまずいて神に感謝の祈りを捧げるのです。
いつも人がいっぱい。
照明がないと真っ暗で、礼拝堂の中の絵は何も見えませんね~
でも、昔は、このように自然の光だけで見ていたわけです。
鮮やかな色使いと確かな画面構成力、カラッチの絵も本当に素晴らしいです~
左は、カラヴァッジョの「聖ペテロの磔刑」です。
キリストと同じように十字架にかかるのは恐れ多いと、自ら逆さに磔にするように頼んだ聖ペテロです。
右は同じくカラヴァッジョの「聖パウロの回心」です。
最初に描いた絵は拒否され、書き直したものです。
この絵は、本当に素晴らしいと思います。
キリスト教徒の迫害者であったパウロは、馬でダマスカスに向かう途中、「サウロ(パウロのこと)、サウロ、なぜ私を迫害するのか」というイエスの声を聞き、落馬し、目が見えなくなります。
その後、キリスト教徒のアナニアが神のお告げを受け、サウロのために祈ると、サウロの目から鱗のようなものが落ちて目が見えるようになります。
こうしてパウロは回心してキリスト教徒となったのでした。
カラヴァッジョの革新的なところは、神の姿を描いていないところです。
一般的に、この主題の絵は、イエスの幻を見て落馬するパウロの姿が描かれるのですが、あえて神を描かず、目を閉じて両手を広げて神の光を受けるパウロの姿を描いただけで、この物語を伝えているところが素晴らしいと思うのです。
こうすることで、画面により聖性が現われていると思います。
ちなみに、パウロは、キリストの死後、キリスト教徒となったため、イエスの直弟子ではありません。
したがって、12人の使徒の中には数えられませんが、熱心に伝道をしたことで、ペトロと並ぶ偉大な聖人となっています。
本日は、本屋さんに行く時に覗いた毎度おなじみのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会について、省略しないで、すべての見所を書いてみました。
いや、ちょっと省略した部分もありますけどね。
明日からゲラに取り組むため、少し時間的余裕のある今日はきっちり書こうかなぁ、と思って書き始めたら・・
なんと、写真アップも含めて、5時間以上もかかってしまいました。
ブログを書くのって、本当に大変!(私の場合は)
時々、やってられなくなります~
自分で自分のことをバカじゃないかと思うことあります。
好きでやっているはずなのに、逆に首を絞められることになるなんて、本末転倒ですものね。
真面目すぎる性格、イヤになります。
ただ今、カラヴァッジョの翻訳本を刊行準備中ですが、私の翻訳本第一弾、「レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密 天才の挫折と輝き」(河出書房新社)もよろしくね♪
これまでにないタイプの画期的な本です。
レオナルドの人生とその作品のすべてが物語風に分かりやすく綴られています。
レオナルドを愛する方、興味のある方、是非どうぞ♪
レオナルドの作品を鑑賞する際により深い理解を得ることができます。
全国の書店でお求め頂けます♪
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by mayumi-roma
| 2017-09-19 08:08
| ローマの美術・歴史散歩