死刑好きの教皇クレメンス8世・・・

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ローマ、カンポ・デ・フィオーリ♪
ナヴォーナ広場から徒歩約5分、ルネッサンス期の建物が立ち並ぶ歴史的地区ですが、この広場には毎日青空市場が立つので、常にごちゃごちゃしています。
市場の店舗が片づけした後も、野菜くずだとかゴミが散らばって汚いで~す。
でも、ローマらしい場所ということで、いつも観光客で賑わっています。
だから、ますますごちゃごちゃ!
広場の中央には、ジョルダーノ・ブルーノの像が立っています。











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1600年(聖年の年)2月17日・・
まさに、この像が立つこの場所で火刑に処せられたジョルダーノ・ブルーノ。
彼は、ナポリ出身の哲学者でありドメニコ会の修道士でした。

それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクスの地動説を擁護したことで、ローマの異端審問所によって、彼の思想は危険であるとの異端判決を受けましたが、一番問題だったのは、彼が著作の中で、「悪魔も救済できる」と書いたことでした。
それがカトリック要理に反するとみなされたわけです。

投獄された当初、ジョルダーノ・ブルーノ自身は、教皇クレメンス8世が恩赦にしてくれるだろうと楽観していたそうですが、とんでもない!
この教皇は在位中の13年間に30人も死刑台に送っているのですから~
ジョルダーノ・ブルーノの最終審議の法廷で、教皇自らが「死刑ありき」の前提で周りにプレッシャーをかけたと言われています。
ガリレオ・ガリレイがまだ無名の頃で、このジョルダーノ・ブルーノの処刑のあと、自身の今後を思いやって、おとなしくなったと言われています。

処刑の際もジョルダーノ・ブルーノは凛としていて、処刑を宣告する執行官に対して、「私よりも、宣告を申し渡したあなたたちの方が真理の前に恐怖に震えているじゃないか」
と言ったため、舌枷をはめられたそうです。
さらに、死の際には一つも声を発さなかったと言われています。

この像は、1887年にエットレ・フェラーリによって、ジョルダーノ・ブルーノが処刑された正確な地点に建てられましたが、彼の視線の先にヴァチカンが来るように計算して設置されました。
本当に恨めし気な顔をしています・・・

1979年、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、過去の教皇庁の誤りを正すという目的で、ジョルダーノ・ブルーノの異端宣告は取り消されました。











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カンポ・デ・フィオーリからファルネーゼ広場へ~
ファルネーゼ宮殿はあまりにも壮大過ぎて、それだけを写真にすると、どうも絵にならないのですが、こんな感じで撮ったら、なかなかいい感じの写真になることに気が付きました♪











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そのファルネーゼ宮殿を正面にして右の道を行くと、そこが、先日記事にした「ボルジア家出身の教皇の霊廟があるスペイン国民教会」のあるモンセッラート通りですが、その道の42番地には、石板があります。
悲劇の美少女ベアトリーチェ・チェンチが捕えられ拷問を受けた牢獄のあった場所です。
1599年9月11日、この場所からベアトリーチェは、処刑場のサンタンジェロ広場に向かったのでした。

ちょうど、上記のジョルダーノ・ブルーノの処刑の半年前です。
ローマでは同情論が高く、各方面から恩赦の嘆願が出されていたにもかかわらず、死刑を決めたのは、もちろん、クレメンス8世!
表向きは、当時、治安が悪く殺人事件の多かったローマで見せしめのために処刑したと言われていますが、真実は、チェンチ家の人間を絶滅させて、その財産をすべて没収することが目的だったと言われています。











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           処刑前のベアトリーチェの肖像画Byグイド・レーニ
           ローマ、バルベリーニ国立絵画館

ベトリーチェ・チェンチは、ローマの名門貴族の娘でしたが、父親の暴力・性的虐待に苦しんでいました。
それは想像を絶するほどに酷いもので、継母や兄弟たちも同様に苦しみ、最終的に、それから逃れるために家族全員で団結して父親を殺害してしまったのです。
最初は事故と片付けられ、見事、完全犯罪になるかと思われたのですが、そうはなりませんでした。
教皇庁と親しかったチェンチ家、莫大な資産を持つチェンチ家・・
数々の思惑がうごめいたと言います。

チェンチ家の当主(ベアトリーチェの父親)の暴力性はローマ市民には有名な話だったので、尊属殺人とはいえ、皆、ベアトリーチェたちに同情していました。
しかし・・
ベアトリーチェは22歳の若さで、継母のルクレツィア、長兄のジャコモと共に、サンタンジェロ広場で斬首されて、散ったのでした。
兄のジャコモは、むごい切り裂きの刑でした。

当時の死刑は公開処刑ですから、弁護士や裁判官、ローマの貴族たち、市民、観光客までが集まったそうです。
その中に画家カラヴァッジョの姿があったのは有名な話です。
継母の小さな息子だけは、死刑をまぬがれましたが、莫大なチェンチ家の財産は、全て教皇庁に没収されたそうです。

クレメンス8世は、その政治力では高く評価されていましたが、数多くの死刑を執行することで自分の経歴を汚してしまったと言われています。
特にこの2つの死刑後は、ローマ市民からの人望をすっかりなくしてしまいました。


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by mayumi-roma | 2016-05-16 04:39 | ローマの美術散歩

ローマ在住32年♪永遠の都からお伝えする私(上野真弓)の日々の暮らしや考えること。そして大好きな美術について・・
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