特別公開♪ミトラ神殿@カラカラ浴場跡♪
c0206352_235583.jpg

少なくとも10年以上、修復のために閉鎖されていたカラカラ浴場の地下にあるローマ最大(世界最大と言ってもいいかも)のミトラ教の神殿が特別公開されました。
私は、会員になっている「ローマ地下の会」のお誘いで行ってきたので、一般公開に踏み切ったのかどうかは分かりません。
HPには何も書いてありませんし、2時間くらいの見学中、他の似たような会の見学はありましたが、個人的に入ってくる人はいませんでしたし。
鍵が閉まっているので、完全予約制だと思いますが、個人でも大丈夫なのか、指定の日にちがあるのかは分かりません。

ミトラ教の寺院は、ローマ市内とオスティア・アンティーカの遺跡に数多く残っていますが、お気軽に見学できるところは、サン・クレメンテ聖堂の地下に残るものだけです。
ただし、鉄格子から覗くだけで、中に入ることはできません。
ローマで過去に一般公開されていたミトラ神殿も、今では完全閉鎖か、月に2度ほど特別公開(個人は不可)するのみです。

オスティア・アンティーカの遺跡では、私は古い地図を片手に大冒険をして、ミトラ神殿をたくさん見ましたが、この場所も現在では地図に記載されておらず、行くことができません。
外からも見ることができません。
だから、大冒険だったのです~
それでも、古い地図に載っているのにどうしても見つからなかった神殿があって、あとで、「ローマ地下の会」の友人に聞いたら、どこにあるか教えてくれました。
わざと分からないようにしているらしいです。
立ち入り禁止のバーを越えていかなければならないと言ってました(きゃあ~)。

興味のある方は、以前、ブログ記事にしていますので、見てみてくださいね。
オスティア・アンティーカのミトラ神殿
サン・クレメンテのミトラ神殿
ローマのチルコ・マッシモのミトラ神殿












c0206352_2433216.jpg

さて、カラカラ浴場のミトラ神殿です。
まず、これまで公開されたことのないロタトリアにも入ることができました♪

カラカラ浴場は古代ローマ最大の浴場でしたから、その地下ではお湯を沸かしたりパンを焼いたり、様々な作業が行なわれていました。
当然ながら荷馬車が通れないと何も運べませんから、地下の道路の幅は6メートルもありました。

ここは、そういう作業をする場所の始まりに当たる部分で、丸いロータリーのようなものがあります。
写真では分かりにくいかな?
ここから先はいくつもの道が続いています。
もちろん、鉄格子で阻まれていて、行くことはできません。











c0206352_2525560.jpg

ロタトリアの横♪
発掘されたものが無造作に置かれています。











c0206352_2543617.jpg

ミトラ教の寺院♪

いや、これは本当に感動ものでした♪
よく言われることですが、「カラカラ浴場のミトラ神殿は大したことない。ただ広いだけだ。」
確かに、チルコ・マッシモやサント・ステファノ・ロトンド聖堂のミトラ神殿のように、ミトラ神の彫刻や浮彫があるわけではなく、バルベリーニ宮殿の地下にあるミトラ神殿のように、美しいフレスコ画があるわけではありません。

だけど、この広さは尋常ではありませんでした。
実に感動的でした。
洞窟の中でひっそりと・・というのがミトラ教で、普通は20人から30人程度の信者(男性のみ)が入れるくらいの大きさしかないのです。
これを作ったカラカラ帝も信者だったということですから、アレクサンダー大王に心底憧れていたカラカラ帝が、何事も世界一の大きさを求めたからではないかと、私は思うのですが、何故このような巨大なミトラ神殿が作られたのかは、謎のままのようです。

神殿には前室が3つありましたが、ごめんなさい、省略します。
写真の整理が追いつきません・・











c0206352_321193.jpg

修復されたフレスコ画もありましたが、残念ながら完全ではありません。
ミトラ神が青い惑星を手にしているところです。
こういう構図を見ると、古代の人は地球が丸いことを知っていたのだろうな・・と思わざるを得ません。











c0206352_3232742.jpg

両端には、もちろん、ミトラ神殿独特の作りである宗教的祝宴儀式のために座る場所もあります。
ここでパンとワインを食べるのです。
ミトラ神の誕生日は12月25日ですし、どう考えても、キリスト教が真似した(?)としか思えません。

正直に言いますと、キリスト教ほど心の狭い宗教はないと思います(キリスト教徒同士であれば寛大だし、今のフランチェスコ教皇は心の広い方だとは思いますが)。
現在残っているミトラ教に関する資料は、ローマの宗教界を制圧したキリスト教徒が書いたものがメインになるので、それをそのまま信じるわけにはいきません。
キリスト教優位の立場で、ミトラ教を貶めるために、真実でないことが書かれていることが多いと言われています。











c0206352_3285614.jpg

血の溝。
すごい名前ですが、これはミトラ教の儀式で使用されたものです。
この神殿には、他の神殿には残っていない「血の溝」があるのです。
ミトラ教では、入信(最初のイニシエーション)する時、もしくはそれ以降の儀式の際も(?)、犠牲となる雄牛の生き血を体中に浴びなければならないのです。
つまり、この溝というか穴の中に信者が位置して、その上に雄牛を乗せて殺すわけです。
信者の段階には七段階あって、恐怖感の克服もしなければならなかったのです。

しかしながら、雄牛は巨大な動物なので、たとえ、この神殿がローマ一の大きさを誇っていたとしても、また地下道の幅が6メートルあったとしても、雄牛を実際に使うのは難しかったのではないかと考えられています。
おそらく、子牛を使ったのではないかと・・











c0206352_336283.jpg

祭壇♪
特に目立つものは何も残っていませんが、私は、この大きさだけで感動して胸がいっぱい♪

ミトラ教は、古代ローマ時代紀元前1世紀から紀元5世紀にかけて軍人を中心に信仰された宗教です。
もともとは、ペルシャのゾロアスター教から来たものだと言われています。
星座や天文学と大変な結びつきを持った宗教です。
説明を始めると1冊の本が書けるくらいになるので(笑)、省略しますね・・

ミトラ神は岩から生まれ、生まれた時には既に青年でした。
この世に救いをもたらす宗教観が、忠誠、服従、信頼、敵への勝利を強調したものであったことから兵士たちに好まれていたのですが、キリスト教の台頭とともに、4世紀以降、ローマの表舞台からは姿を消しました。











c0206352_4275840.jpg

この写真は、約2年前に行ったチルコ・マッシモのミトラ教の寺院で撮ったものです。
ミトラ神が雄牛を殺すところをレリーフ〈浮彫)で表わしています。
犠牲の雄牛から目を背けているように見えるのは、ミトラ神のマントが太陽神を表わし、それを振り返っているからです。
実際に、太陽神が左側に見えます。
月の神も右側に見えます。
ミトラ神=ペルセウス、とも言われています。

よく見ると、ミトラ神が短剣を雄牛に突き刺した首から流れる血に犬と蛇が張り付いています。
そして、雄牛の睾丸にはさそりが毒を刺しています。
これらの動物は、ミトラ神の概念が生まれた時代(紀元前12世紀)の天球赤道、おうし座のあたりに位置していた星座の名前だそうで、当時の春分の日3月21日にはおうし座の位置に太陽があったそうです。
現在の春分の日とは星座の位置が変わっているのだとか・・

何とも神秘的なお話ですが、話が難しくなってしまったので、このへんで。
疲れた~~~


2つのブログランキングに参加しています。
1日1クリックがランキングに反映する仕組みです。
2つともクリックしてもらえると、嬉しいな♪
応援してね♪

にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
ありがとうございました♪
by mayumi-roma | 2016-02-29 06:26 | ローマの美術散歩

ローマ在住32年♪永遠の都からお伝えする私(上野真弓)の日々の暮らしや考えること。そして大好きな美術について・・
by mayumi-roma
プロフィールを見る
ブログジャンル
海外生活
50代
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。