アウシュビッツ強制絶滅収容所・・

8月9日は、長崎に原爆が落とされた日です。
本当は、アウシュビッツの記事を、広島に原爆が落とされた8月6日に書こうと思っていたのですが、写真の整理がつかずに、それなら長崎の日に合わせようと思いました。
戦争は、全ての人を狂気にかりたてます。
残念ながら、今も戦争はなくなっていません。
私たちは平和な毎日を享受していますが、時には過去を振り返ることも大切だと思うのです。
誰かを責めるのではなくて、過去を教訓とするために。
そして、いつまでも忘れないために。


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アウシュビッツとビルケナウには、クラクフ中央駅から出ているバスで比較的簡単に行けますが、何しろ広大な場所なので、各国語のガイドツアーに参加することをお薦めします。
そうしないと、どこをどう回っていいのやら全く分かりませんし、いろいろなお話を聞くことも出来ません。









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イタリア語のガイドさん。
日本人のガイドさんもいるようですが、私は、夫も一緒でしたし、ここではイタリア語のほうがピンとくるような気がして、イタリア語のガイドツアーを予約しておきました。

ガイドさんは、ポーランドの方でしたが、イタリアの有名な化学者兼作家のプリモ・レーヴィについての知識も豊富でした。
プリモ・レーヴィは、トリノのユダヤ人家庭に生まれ、第二次世界大戦中、ナチスによるトリノ占領に対してレジスタンス活動を行ったため、1943年12月にアウシュビッツに送られました。
そして、1945年1月に、アウシュヴィッツ解放後、強制収容所より生還したのでした。
戦後は化学者・技師として働きながら、「これが人間か」をはじめとするアウシュヴィッツの体験をテーマとした小説を発表しています。
機会があったら、皆様にも、ぜひ読んで頂きたい本です。









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ビルケナウの駅に到着したユダヤ人、それぞれが自分にとって一番価値のある物や生活道具を持ってきていたようです。
それらは、全て没収されたのですけどね・・
右下の写真は、ソ連軍が収容所を解放した際に発見した生き残った人たちの一部。
中央の女性の体重は、24キロしかなかったそうです。
そして、子どもたちはロマ族(ジプシー)で、人体実験に使われたため、生きていたようです。









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収容された人たちの遺品・・
倉庫にはおびただしい数の遺品が残っていたそうです。
貴金属類や処刑された人から抜いた金歯など、価値のあるものはすぐにドイツに送られたようですが、あまりにも膨大な遺品の数だったので、運びきれないものもあったそうです。
彼らが持ってきた生活必需品、食器やお洋服、また、ガス室で殺された後に刈り取られた膨大な髪の毛もありました。
髪の毛は、布を作るため、あるいは、マットレスの中身として使ったそうです。









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「死の壁」
銃殺刑の場合は、ここで行われました。
ドイツ式の銃殺方法は、背後からこめかみを打つというものだったそうです。
犠牲者は、おもにポーランド人の政治犯。








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死刑が決まった人が入る地下の牢獄。
処刑は、ガス室や銃殺だけでなく、絞首刑や餓死させる方法も使われました。
最も有効な虐殺方法は過酷な労働とも言えますけど・・








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餓死室。
ここは、コルベ神父が亡くなったところです。
ローマのサンタンドレア・デレ・フレッテ教会で神父様としての第一歩を歩み、長崎にも宣教師として訪れ、本国ポーランドに戻った時、ナチスに異議を唱えたためにアウシュビッツに送られました。
彼は、アトランダムに選ばれた処刑者の身代わりのなることを自ら申し出て、この部屋で亡くなりました。










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ガス室の入口。
シャワーを浴びるという口実で連れて行かれたので、誰ひとり疑う者はなく、皆落ち着いた様子をしていたようです。




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ガス室。



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天井の穴から投入されたチクロンBの毒ガス。
15分から20分で窒息死したそうです。



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遺体焼却炉。
遺体から金歯を抜き、髪の毛が切られ、貴金属が取られた後、ここで焼却されました。
この焼却炉では、一日に350人分の遺体しか焼くことが出来なかったため、遺体が多過ぎる場合は、外に運ばれ積み上げられました。




アウシュビッツは、訪れる人が多くて、まるで観光地化されたような感じで、夏の強烈な日差しの中を歩いたこともあって、一見悲壮感はありません。
しかし、ここがどういう場所だか知っているわけですし、断片的な過去の遺物に触れると、ここで亡くなった膨大な数の犠牲者と生き残った方たちのことを思わずにはいられません。
どんな気持ちで毎日を送っていたのだろう・・
希望を持つことは出来たのだろうか・・
考えても仕方ないことなのですが、考えざるを得ません。
人が人として存在出来なかった場所・・
言葉も出ないほどに悲しいところでした。


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by mayumi-roma | 2013-08-09 05:52 | ポーランド

ローマ在住33年♪永遠の都からお伝えする私(上野真弓)の日々の暮らしや考えること。そして大好きな美術について・・


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