ボルジア家の館♪

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新緑の季節なので、すっかりツタの葉っぱに覆われてしまっています~
これでは、有名なヴァノッツァのバルコニーが全然見えません~~!!











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これが冬場の姿です~
こちらの画像は、ネットの画像バンクからお借りしました~

この邸宅は、「ボルジア家の館」と言われている所です。
つまり、ルネサンスの幕開けの時代にローマ教皇となったアレクサンドル6世(枢機卿時代は、ロドリーゴ・ボルジア)の愛人、ヴァノッツァ・カッタネイの暮らした家です。
彼との間に4人の子をなしたヴァノッツァ!

子どもたちの中で有名なのは、チェーザレ・ボルジアとルクレチア・ボルジアですね♪
様々な歴史家が本を書き、小説家が歴史小説を書く・・
現代においても、格好の題材となっています。
書く人によって人物像はずいぶん変わってきますが、私自身は、あの戦国の世で、見果てぬ夢を追い続けた人間たちという見方をしているので、好意的に感じています。
たとえ、陰謀にまみれ、そこに残酷性があったとしても・・
この時代は、皆、似たりよったりだったわけですから。
チェーザレ・ボルジアが、どこか織田信長に似ているような気がしないでもないです。

彼らは、確かに自分たちの富と権力を追求したかもしれません・
けれども、そこには、いち早く政教分離の必要性に気がついていた素晴らしい政治哲学があったような気がします。
たとえ、無意識でも・・
だからこそ、マキャベリもチェーザレを絶賛したわけで・・
不幸なことに、時代がまだ付いていけなかったのでしょうね・・
現代でも、よくある話です。

さて、ローマの都市伝説によれば、この建物は、教皇アレクサンドル6世が、ラファエロのデザインをもとに建設させたと言われていますが、実際には、ラファエロがローマに来る5年前に教皇は亡くなっていますし、年代的に合わないことが多過ぎるので、これは、まさに単なる都市伝説ですね~(笑)

ただし、ヴァノッツァが実際にここで暮らしていたのは事実で、1497年6月14日に、子どもたち、ヴァレンティノ公・チェーザレ、カンディア公・フアン、ルクレチア、そして、その他の親戚を招いて夕食会をしたそうです。
そうです!
例の大事件です!
その夕食会からの帰り道に行方不明となったカンディア公・フアンが、3日後にテヴェレ川で遺体となって見つかったという、あの大事件の前の夕食会です。
犯人は見つからず、謎のままに終わっていますが、一説では、兄のチェーザレが事件の首謀者だと言われています。
さて、真相は、どうなんでしょうね~!?
私には、そうは思えませんが・・


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by mayumi-roma | 2013-05-10 22:15 | ローマの美術散歩

ローマ在住33年♪永遠の都からお伝えする私(上野真弓)の日々の暮らしや考えること。そして大好きな美術について・・


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