コロッセオ残酷物語♪

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「コロッセオの立つ限りローマは立つ。コロッセオの倒れる時ローマは倒れん」とうたわれた、ローマのシンボル、コロッセオ。
古代ローマ帝政期の円形競技場です。
余りにも有名なため、ここを訪れるのは月並だと考える方がいるかもしれません。
けれども、百聞は一見にしかず。
自分の目で見る価値のある場所です。
たとえ往時の面影はなく廃墟と化していても、そこに立つと、言いしれない感動があります。
それが何なのかは人それぞれでしょうが、強いて言うなら、「私はここに立っている」という思いでしょうか。

コロッセオの現在の姿は欠けていますが、それは、中世以降に、コロッセオを作る白いトラベルティーノ石や大理石を、教会や貴族の館を建設するために切り崩して使われたからです。
古代ローマの遺跡をちっともリスペクトすることなく、一時は石の供給場となっていたのです。
これも、現代の感覚からすれば不思議なことですが、当時の人々は過去の遺産を保存することより、合理的に再利用することを重視したのでしょう。
そのため、後世において、崩れるのを防ぐために一大修復工事が必要となりました。
というより、今現在も、物凄い亀裂が入っていて、倒れるかもしれないと危機感で、緊急修復工事をすることになりました~(大汗)。

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コロッセオの内部♪

コロッセオは、かつては五万人以上の収容を誇るスケールの大きなものでした。
中央のむき出しになった部分に分厚い板を敷いてアリーナを作っていました。
写真のアリーナの奥にイメージとしての分厚い板が見えます。
この下が小さな小部屋のように区分けされているのは、機材保管や猛獣の檻として使われていたからです。
観客席は今では見る影もありませんが、かつては、三つに分かれ、一階と二階は大理石の座席、三階は女性席で木製の座席となり、さらにその上には立ち見の貧民用の天井桟敷があったのでした。
屋根はなく、最上階の外壁に木の柱が立てられ日除け用のテントを張っていたそうです。

コロッセオで行われる見世物は、ローマの富豪たちが巨額の私財を投じて行われていました。
富豪の筆頭は皇帝ですが、貴族や有力な政治家たちも、ローマ市民の歓心を得るために提供したそうです。
ローマ市民は、これらの見世物を無料で楽しむことが出来、自分の階級を示す御札のようなものを見せれば、階級ごとに別れた座席が定員に達するまで早い者順で入ることが出来るというシステムとなっていました。

コロッセオが完成してから100日の間、連日で朝から晩まで多くの催しが行われました。
歴史的には、悪名高き「コロッセオ開幕の百日間」と呼ばれていますが、そのほとんどは、現代人なら目を覆うような残酷なものでした。
午前中は猛獣狩りか猛獣同士の戦い、お昼の12時には犯罪人の公開処刑、午後は剣闘士の試合と定められていました。
猛獣は、ライオンやトラ、象や水牛、豚やウサギなど、野生や家畜を問わず、ありとあらゆる動物が使われました。

100日の間に殺された猛獣や動物は九千頭にも及び、三千人の剣闘士が亡くなったと言われています。また、公開処刑は、十字架に磔にした上で猛獣の餌食にする場合と、単にアリーナの中に置いて猛獣に与える場合とがありました。

このような殺伐とした闘技や残酷な処刑を、古代ローマ人は娯楽として、貴族から貧民に至るまで熱狂して観戦したと言います。
しかも、お昼ご飯を食べながらです。
朝入ると夜までずっと見物するのが習慣だったのです。
どうやったら、死んでいく動物や人間を見物しながらご飯が食べられると言うのでしょう・・

古代ローマの政治経済、都市整備、文化を思う時、古代ローマ人は偉大だったと思うのですが、こんな一面を知ると、その思いが帳消しになってしまいます。
私にはその精神構造がどうにも分かりかねるのです。
人間の暗闇の部分をあっけらかんと表に出していたということでしょうか!?
つまり、誰もが恐れ、誰もが知りたい死の謎、誰かが死んでいく姿を見てみたい、という人間の心の底に潜む黒い願望を隠さなかったということでしょうか!?
いえ、こんな複雑な心理ではなくて、ただ単に楽しんでいただけなのかもしれませんね。
そういう意味では人間的だったということでしょうか!?

いずれにしても、この100日間に流された血で、白く輝いていたコロッセオは、真っ赤に染まったそうです。

さて、剣闘士は、グラディエーターと呼んだほうが分かりやすいかもしれません。
コロッセオでは、まさに彼らの死闘が毎日繰り広げられていたのでした。
両者が共に強くてなかなか勝敗がつかない時でさえも、皇帝が二人に恩赦を与えない限りは、どちらかが死ぬまでの過酷な戦いだったのです。
グラディエーターになる者は、奴隷か敗戦国から連れてきた捕虜で、いわゆる何も失う物がない人たちでした。
そうは言っても、誰にでも失いたくないものはあるはずです。
自分の命をどうでもいいと思う人がいるでしょうか!?

奴隷や捕虜の中から戦士として見込みのありそうな屈強な者を選んで、養成所に入れて訓練をさせたそうですが、その持ち主(奴隷たちの主人)にとっては大変お金がかかることだったようで、当然ですが、そう簡単には死んで欲しくなかったそうです。
試合に連勝するグラディエーターはヒーローになり、大変な額の賞金がもらえたり、自由の身になる場合もあったようです。
ちなみに、グラディエーターの養成所兼宿舎はコロッセオの近くにあり、コロッセオの地下にある秘密の通路で繋がっていました。
訓練は大変厳しいもので、その時間以外は牢獄のような小さな部屋に閉じ込められる日々だったそうです。


いったいどれほどの血がここで流されたのか・・
というわけで、コロッセオは昔から幽霊が出ることで有名です。
猛獣たちの幽霊も出るそうですよ。

もっとも、今では、年に1回、復活祭の始まりの「聖なる金曜日」に、コロッセオにてローマ法王がミサをあげるので、その霊も少しは癒されたかもしれません。
この日、コロッセオでは、VIA CRUCIS(ヴィア・クルチス)という宗教的な儀式が行われます。ラテン語で、十字架の道、すなわち苦難の道という意味です。

キリストを題材にした数々の映画が製作されていますから、キリスト教徒でなくてもご存知だと思いますが、イエス・キリストは、拷問を受け傷ついた身体でありながら、自分の手で、自分が磔にされる十字架を、処刑場のゴルゴダの丘まで運ばなければなりませんでした。
その道のりが苦難の道というわけです。
つまり、その場面を自分たちで再現しながら、キリストの歩んだ苦難の道に思いを馳せるという意味合いがあるのです。
キリスト教が違法だった古代ローマ時代に多くのキリスト教徒が処刑されましたが、コロッセオでキリスト教徒が処刑された事実はありません。

ローマの歴史を考えると、なんとも複雑な思いが込み上げてくる私です・・
一筋縄ではいかない街なのですね~

追記:
2023年2月に私の著作『教養としてのローマ史入門』(世界文化社)が発売されました。
分かりやすくローマの歴史をまとめているので、ぜひお読みください。
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by mayumi-roma | 2012-10-10 06:11 | ローマの美術・歴史散歩

上野真弓、ローマ在住の翻訳家&文筆家&ツーリズム別府大使。日々の暮らしや芸術探訪、旅の記録。最新刊は訳書『ミケランジェロの焔』、著書に『教養としてのローマ史入門』、訳書『ラファエッロの秘密』など。お仕事のご依頼はoffice.uenomayumi@gmail.comへ。


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